古文書分野

武士の離縁状
ヨコ約40cm タテ約20cm
和紙に毛筆書き 天保二年
径1.0〜2.0cm(右側の小さい方)
山辺町大蕨 稲村家文書
慶長期〜明治期
総点数 1,100点
上方との商取引に関する万福帳や紅花仕切書など

武士の離縁状(米沢市 安田家文書)

ヨコ約40cm タテ約20cm
和紙に毛筆書き 天保二年(1831)

 この離縁状は、米沢侍組の「安田友弥」が妻の父「福島掃部」に渡したものの写しである。「私妻悪縁に付、離別致し候。(略)再縁構えござなく候。」などと書かれている。

 離縁状は一般に庶民のものと考えられており、武士においては離婚の際に藩に対して正式な届けが必要だったため、離縁状の授受はないものとされていた。藩名、所属階級および石高まで判明し、確実に武士の離縁状と認められるものとして、極めて貴重な資料である。

 離婚の理由に具体的な事例をあげることを避け「悪縁」というタテマエ的表現を使っているが、これは妻の再婚を念頭に置いた夫側の思いやりであったのだろう。

山辺町大蕨 稲村家文書

慶長期〜明治期
総点数 1,100点
上方との商取引に関する万福帳や紅花仕切書など

 村山地方では、江戸時代後期になると都市周辺だけでなく農村部にも紅花商人が現れるようになった。その一人が稲村七郎左衛門である。稲村家は山形に土着した近江商人達と提携し、資本金を出して紅花の運搬などを委託して利を得ていただけでなく、自らも生花を買い集め干し花加工も行っていた。
 稲村家文書には上方との商取引に関する万福帳などが多く含まれており、村山地方における商品作物の流通の様子が読み取れる。