中条家文書

中条家文書とは

中条家文書は、中世越後国奥山庄における支配関係を知るうえで貴重な資料群として注目されてきました。中条本家に伝来した中条家文書の中核をなす文書群は、昭和47年、中条敦氏により本学に譲与されました。平成4年には、その内の233通が重要文化財に指定されました。

この目録は、その233通を重要文化財に指定されるに際して、平成3年10月に文化庁文化財保護部美術工芸課書籍・典籍・古文書部門が行った調査に基づき、事務用に作成されたものです。

中条家文書目録データベース

中条氏について

中条氏は、相模国三浦半島の有力者であり、源頼朝挙兵時に合流しようとして果たせず、畠山重忠に討たれた忠臣・三浦義明の一族三浦和田氏を出自としています。建久3(1192)年、和田義盛の弟・三浦和田宗実が越後国・奧山庄地頭職に補任されました。これが三浦和田氏が本貫地である鎌倉を離れ、越後国揚北地域(阿賀野川以北)の有力国人衆として育っていく起点となりました。

和田氏の反乱(和田合戦)の際には宗実の猶子・高井重茂が幕府方につき、重茂は戦死しますが、所領は妻津村尼に安堵(保証)され、さらにその子時茂(高井道円)に讓与されていきます。時茂は晩年に三人の孫に所領を分割して讓与します(建治分与)。これ以降、孫の義頼(茂連、中条家)・長茂(茂長、北条=黒川家)・義長(羲基、南条=関沢家)の三人は、惣領として支配を展開していき、中条・黒川・関沢の三家が成立することとなります。

元弘の乱がおきると一族は後醍醐天皇方につき、さらに南北朝内乱に突入すると北朝方につき、足利氏から所領を安堵されます。足利尊氏と弟・直義の争い「観応の擾乱」では尊氏方についています。

室町時代は、越後国では守護上杉氏・守護代長尾氏の体制が長く続いていました。守護と守護代の争いである「応永の大乱」では中条氏が守護方に、黒川氏が守護代方につき、一族で争っています。次いで15世紀中葉に起きた「享徳の乱」では、守護上杉氏に従い、関東を転戦しています。

戦国時代に入り、守護代長尾為景が実権を握ると、時に反抗しながらも、徐々に上杉家臣団に編成され、戦乱の中を戦っていきます。上杉謙信の代には、中条藤資が川中島の戦いに、中条景泰が加賀出兵にそれぞれ動員されています。謙信が没すると、その後継者争いが起きます。この「御舘の乱」では、当主不在のまま、一族の築地氏が本拠地を奪回するために奮戦しているのが見えます。

上杉景勝の代には、織田信長の侵攻を受け、中条景泰以下が魚津城で戦死するという悲劇に見舞われますが、豊臣政権下では景勝が五大老の一人として活躍します。しかし、秀吉の晩年、上杉氏は会津に転封の命を受け、中条氏もそれに従って転地し、鮎貝城主に封ぜらます。その後、関ヶ原の戦いでは西軍に属したため、上杉氏は米沢30万石に減封となり、中条氏の所領も同様に半減してしまいます。江戸期には米沢藩上杉家の家老職として時代を重ね、明治維新を迎えました。

このように中条氏は鎌倉時代より連綿と続く名族であり、中条家に伝来した文書群は、中世越後国の戦乱や土地支配・一族の相克を映し出す貴重な史料群となっています。

中条氏関連史料の所在について

中条家文書(重要文化財) 239点

中条家に伝来した文書群は、明治以降分散しましたが、その中核部分をなすのが、昭和47年に中条敦氏より譲与された当館所蔵中条家文書です。
 本文書は(ア)重要文化財に指定されている233通と(イ)その他6点からなり、すべて裏打ちが施されています。(ア)はA・B・Cの3つの大箱と8つの小箱に収められ、(イ)は一点ずつ小箱に収められています。
 大部分の文書に、明治時代の地方史家で上杉家史官・米沢図書館長を務めた伊佐早謙氏が記した釈文が貼り付けられています。
 本文書の翻刻文は『新潟県史 資料編』『中条町史 資料編』にそれぞれ全点が収められています。『新潟県史』はコレクションとして一括して掲載しており、当館の請求記号も併載しています。『中条町史』は関連史料とともに編年順に掲載しており、それぞれに利便性があります。また、『新横須賀市史 資料編』(刊行中)は大部分の文書の翻刻とともに綱文や一部については読み下し文を掲載しています。
 『大日本史料』には本文書の何点かが収録されていますが、大部分が明治〜昭和初期の編纂のため、採録漏れが多く点数は多くありません。
 本文書を初めて採録したのは明治時代に編纂された『越佐史料』で8点が採録されています。その後、悉皆的に本文書の紹介がなされたのは、東北史学会発行の『歴史』15号(昭和33年)掲載の工藤定雄・藤木久志両氏による記事で、「三浦和田中条家文書」と題して主要文書の翻刻を連載しました。全点の翻刻は前述の『新潟県史 資料編』でなされました。

越後文書宝翰集・三浦和田氏関係文書(重要文化財) 288点

2005年12月、それまで個人蔵であった中世文書群「越後文書宝翰集」が新潟県立歴史博物館の所蔵となりました。
 貴重な中世文書群である越後文書宝翰集は、18の文書群に区分されますが、その内、三浦和田氏文書、三浦和田中条氏文書、三浦和田黒川氏文書、三浦和田羽黒氏文書、築地文書、大輪寺文書の6文書群288点が三浦和田氏・中条氏に関する文書です。
 これらの文書群は、本来中条家に伝存されたものが、諸種の契機により蒐集家の手に渡ったものとされています。今後これらの文書群の研究がさらに進むことが期待されています。
 本文書群は、『大日本史料』等では三浦和田文書と表記されています。

早稲田大学所蔵米沢藩中條家文書 49点

早稲田大学が平成9年に購入し、早稲田大学図書館「早稲田文庫」に所収されている古文書群で、中条家に伝来した文書のうち、近世(慶長3年〜慶応4年)部分の49点を収めます。慶長〜寛永期の上杉家よりの知行地に関する証文が多く含まれています。(参考文献:柴辻俊六『早稲田文庫の古文書解題』)

胎内市役所(旧中条町役場)所蔵文書 5点

『奥山庄史料集』には、旧中条町役場所蔵文書5点を始め、個人蔵を含む26点が採録されています。この中には、鎌倉後期に作成され、研究者の注目を集めてきた2つの絵図のうちの一つである「波月条絵図」が含まれています。(いま一つは、越後文書宝翰集に含まれる「奥山庄・荒河保境界和与絵図」)

その他

中条家文書が当館に譲与される以前に米沢市中条家において採録された古文書が、鈴木精英編『中条文書越後国奥山庄史料』および東京大学史料編纂所の採訪写真中に見られ、その中には現在、当館所蔵中条家文書中に伝存していないもの若干があります。これらは、『新潟県史 資料編』に翻刻が収められています。

解説資料紹介

資料紹介「中条家文書の世界」(人文学部 松尾剛次教授)(館報「やまびこ」掲載)
中条家文書展(平成4年10月21日〜24日)
中条家文書展(平成5年11月11日〜13日)
直江兼続とその時代展(平成19年7月30日〜8月10日)
「中条家文書の世界」展(平成20年11月5日〜9日)
「直江兼続とその時代」展 PartII(平成21年7月24日〜8月8日)
中条家文書掲載図書
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2009/8/20 更新

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